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大阪家庭裁判所 昭和56年(家)3926号 審判 1982年4月12日

昭五六(家)三九二六、三九二七、三九二八号

申立人 山村教子

昭五七(家)四六二、四六三、四六四号

申立人 西田豊吉

事件本人 西田正之 外二名

主文

一  事件本人三名の親権者を西田好文(昭和五三年一二月一五日死亡)から申立人山村教子に変更する。

二  事件本人三名の監護者を申立人西田豊吉と定める。

理由

一  昭和五六年(家)第三九二六号乃至第三九二八号親権者変更申立事件の申立の趣旨は主文第一項と同旨であり、昭和五七年(家)第四六二号乃至第四六四号子の監護に関する処分申立事件の申立の趣旨は主文第二項と同旨である。

二  本件各記録並びに本件に関連する当庁昭和五七年(家イ)第三八九号乃至第三九一号扶養程度方法協議申立事件記録及び当庁昭和五五年(家)第八二九号乃至第八三一号親権者変更申立事件記録によれば、次の事実が認められる。

1  本件昭和五六年(家)第三九二六号乃至第三九二八号親権者変更申立事件申立人(以下、単に教子という。)は、昭和四一年八月二五日西田好文と婚姻し、本件事件本人三名をもうけて、大阪市○○区を経て昭和四九年ころから奈良県○○○郡において上記家族及び好文の両親である昭和五七年(家)第四六二号乃至第四六四号子の監護に関する処分(監護者指定)申立事件申立人(以下、単に豊吉という。)と、コトヱさらに好文の弟長吉と同居して生活していたところ、教子と好文とは次第に夫婦の折り合いが悪くなり、昭和五二年ころ教子が事件本人らを残して実家に戻り、好文と別居した。その後、教子と好文とは離婚の話し合いをなし、昭和五三年九月二九日奈良家庭裁判所葛城支部において事件本人らの親権者をいずれも好文と定めて調停離婚した。

2  教子は上記離婚に際し、事件本人らを引き取り自ら養育することを望んだが、生活が不安定であり、好文が養育費の支払を拒み、親権者となることを強く望んだことから一応親権者を好文と定めたものである。

3  事件本人らは、好文と教子が上記別居して以来いずれも好文、豊吉及びコトヱに養育されていたが、昭和五三年一二月一五日好文が自殺して死亡した。

4  豊吉は、好文死亡後事件本人らの養育を継続したが、自身が多忙であることに加え、コトヱも老令で病身であつたので次第に事件本人らを養育することが重荷となり、教子に対し、事件本人らの引き取りを求めて昭和五四年七月一九日大阪家庭裁判所堺支部に事件本人らの親権者を亡好文から教子に変更する旨の事件〔同庁昭和五四年(家)第四三三号乃至第四三五号〕を申立てた。右事件は、昭和五五年二月二九日当庁に回付された〔当庁昭和五五年(家)第八二九号乃至第八三一号親権者変更申立事件〕。

5  上記親権者変更事件につき、教子は、当時居住家屋が狭隘で、収入も低額であつたので、経済的に自立することに不安があつたのと、事件本人らが相続により取得すべき亡好文の相続財産の範囲を豊吉が明確にしなかつたことなどから、事件本人らを直ちに引き取ることに同意しないでいたところ、豊吉は、上記事件申立後である昭和五四年八月ころから豊吉の三女である咲子が豊吉宅に同居して生活するようになり、次第に咲子が事件本人らの事実上の養育を引き受けるようになつたので、昭和五五年二月ころ肩書住所地の居宅に転居のうえ、咲子の協力をえて自から事件本人らの養育を継続していく意思を固め、昭和五六年三月二六日上記親権者変更申立事件を取下げた。尚、コトヱは昭和五五年六月二五日死亡した。

6  その後、豊吉は、昭和五六年一〇月一〇日教子とその両親を相手方として同人らが負担すべき事件本人らの扶養料額の確定と過去の扶養料の支払を求めて当庁に扶養程度方法協議事件を申立てた〔当庁昭和五六年(家)第三五〇七号乃至第三五〇九号〕。

一方、教子は、昭和五六年一一月一一日当庁に事件本人らの親権者を亡好文から教子に変更する審判を求める旨の事件を申立てた〔当庁昭和五六年(家)第三九二六号乃至第三九二八号親権者変更申立事件〕。

7  上記扶養程度方法協議申立事件と上記親権者変更申立事件とは併行して調査・審問されたところ、その過程で豊吉と教子とは、昭和五七年二月四日事件本人らの扶養料の支払につき、教子が豊吉に対し、金三〇〇万円を支払う旨の合意をなした。

そこで、上記扶養程度方法協議申立事件は同日調停に付されて上記合意のとおり調停が成立した〔当庁昭和五七年(家イ)第三八九号乃至第三九一号〕。さらに、同日豊吉と教子とは、事件本人らの事実上の養育は従前どおり豊吉においてなすことにしたうえで親権者を教子に変更することに異議がない旨合意した。そして、上記合意の趣旨にのつとり、豊吉は同月六日当庁に対し事件本人らの監護者を豊吉とする旨の審判事件を申立てた〔当庁昭和五七年(家)第四六二号乃至第四六四号子の監護に関する処分(監護者指定)申立事件〕。

8  豊吉は、上記のとおり、好文と教子とが別居した昭和五二年以来今日まで事件本人らと同居生活を継続してきているところ、大阪市○○区に共同住宅を所有し、これを賃貸して収入を得たうえ、安定した生活をしており、事件本人らの養育を継続するにつき格別支障となる事情はない。

9  教子は、上記好文と別居して以来肩書住所地の借家に一人住いをし、昭和五四年四月ころから大学病院に看護補助者として勤務しているが、現在では収入も安定し、事件本人らを引き取つても十分経済的に自立していける状況にある。

10  事件本人正之は、高校受験に合格し昭和五七年四月から奈良県立○○高校に進学することになつており、事件本人有記子は中学校一年在学中であり、事件本人克也は小学校五年在学中であつて、いずれも落ち着いた学校生活を送つており、三名とも豊吉の適切な監護のもとに順調に成育しており、その日常生活につき不安は認められない。

事件本人正之は、今直ちに教子との同居生活を望んでいないように見受けられ、事件本人有記子は教子を慕いながらも豊吉と教子とが同居生活できないことを理解したうえで、豊吉のもとを去ることにとまどいを感じており、事件本人克也は、豊吉と教子との現在の関係を理解できずに、教子との同居生活を望んでいる。

三  以上認定の諸事情を総合勘案すると、教子が事件本人らの親権者となることについて、格別不都合、不適当と認められる事情はないが、ただ、事件本人らは現在豊吉のもとで安定した生活を継続しており、かつ、教子と事件本人らが別居して生活するようになつて以来今日まで約五年間が経過してこの間互いに面接の機会がなかつたので親近感にやや欠けるところがあるとも解せられるので、今直ちに事件本人らを教子のもとで生活させるよりも、むしろ、暫く豊吉のもとでの生活を継続させ、教子と事件本人らとが愛情ある接触の機会を積み重ねたうえ円滑に同居に至るのが、事件本人らの福祉に合致するものと解される。従つて、現時点においては、事件本人らの監護者を豊吉と定めたうえ、事件本人らの親権者を亡好文から教子に変更するのが相当であると思料する。

四  以上により、本件親権者変更申立事件(ただし、監護権の部分を除く)及び子の監護に関する処分(監護者指定)申立事件はいずれも相当であると認め、主文のとおり審判する。

(家事審判官 岡村稔)

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